竹野屋の歴史
明治10年(1877年)出雲大社にほど近い眞名井地区の農家の四男であった初代竹内繁藏が、大社を訪れる参拝客のために開いた小さな宿、それが「竹野屋」の始まりでした。
以来、二代から三代へと家業は引き継がれ、敷地の拡大と建物の増改築を重ねて現在の木造本館の佇まいとなったのは、昭和4年(1929年)のことです。
大社町に鉄道時代が到来した大正から昭和半ばにかけては、修学旅行など団体のお客様が増えていきました。また、戦時中は疎開児童受け入れのお宿として全国的にも名前が知られるようになっていきました。
昭和46年(1971年)より15年間に渡り大社町長を務めた四代目が、敷地西側に新館を増築。その頃、出雲大社をご参拝される皇室の方々をお迎えする光栄にも幾度か恵まれました。
(尚、シンガーソングライターの竹内まりやは四代目繁藏の三女にあたります)
五代目(信夫)の平成の時代には、出雲大社で挙式を行うカップルの増加に伴い、当館独自の結婚披露宴スタイルが、全国の皆様方からご好評いただきました。
平成28年(2016年)秋には、諸設備を一新すると共に、日本書道界の重鎮「石飛博光」先生の揮毫を看板に戴き、装いも新たにリニューアルオープンの運びとなりました。
そして創業140周年となる平成29年(2017年)秋、次世代の若き六代目(信人)へとバトンタッチされた「竹野屋」は、“神々の国への玄関宿”として、初代より引き継がれてきたおもてなしの心を大切に、これからも皆様に愛される宿を目指して一層精進いたしてまいります。
何卒末永いご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
初代繁藏
二代繁藏
三代繁藏
三代繁藏とその妻ハル
四代繁藏
昭和初期の写真
竹野屋玄関
今も変わらぬ玄関にてお待ちしております。ぜひ同じ角度で記念撮影をどうぞ。
本館特別室「素鵞の間」
皇室の方々を始めとして、たくさんの著名な方々にご利用いただいてきましたこの特別室は、今もなお当時の趣を残しております。
宇迦橋の大鳥居
当時は国鉄大社駅(旧大社駅)から大勢の参拝客がこの一の鳥居を通りお詣りされました。左手には「竹野屋旅館」の大きな看板が見えます。
木造本館の棟上げの様子
選りすぐりの木材と一流の職人によって建てられました本館は、今もなおその輝きを静かに放っております。